海田町の宝、瀬野川 〜 瀬野川を200%楽しむ!
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瀬野川活動への思い

瀬野川を楽しむ会
代表 中村 幸春

2000年6月。
息子たちのクラスに川遊びを呼びかけた。
(当時呼びかけた際の文章はこちら)

あれから12年。
とにかく諦めず、「エエか悪いか」だけで活動を継続しています。
今、瀬野川を楽しむ会のサポートメンバー、
クラーク記念国際高等学校、広島大学生物生産学部、
広島市立大学情報科学部、海田町役場、保育所、
学校関係者、地域住民沢山の人たちがサポートしてくれています。


活動のきっかけは瀬野川の河川工事。
瀬野川には守らなければならない環境がある。

活動を始めたとき、河川保護など無謀な行動と思ったが、
「ワシがやらなければ誰がやる」
エエことか悪いことかを考えた。
そのとき、間違いなくエエことだと決めた。

この活動は様々な障害が起きることも想定した。
しかし心に決めたことは、この活動は息子達のため子供達のため。

当時、諫早湾干拓工事、長良川堤防など、
様々な工事が環境保護団体と衝突していた。
その行動はすべてデモでの活動。
もっと話し合えばエエのに。

一人で始めた活動に、最初にサポートしてくれたのが、
海田小学校の有崎教師だった。
無我夢中で私ができることは何でもやってみた。
通えるだけ瀬野川に入り、魚や水生昆虫を探していた。
どんどん瀬野川のポテンシャルを認識した。
これは間違いなく残さないといけないと身震いしていた。

河川工事は目前。
測量も終わり、工事の資材を搬入していた。
工事直前、初めての保護活動。
海田町役場の三輪さん、海田小学校の有崎教諭と、
保護しなければならないいけない周囲をロープで囲んだ。
とうぜん、この行為は違反だ。
しかし、時間も目前だったため、
意を表すためにはこれしか思いつかなかった。
とにかく、瀬野川の自然を残すためには、
住民に知ってもらわないとダメ。
そのために、新聞社、TV局におねがいした。
すると、TSSの岩崎ディレクターが、
海田町役場の当時の石原助役に説明してくれた。
それから、行政も施工方法を変更してくれた。

このことが発端となり、
私の思いが一人ひとりに伝わり、大きな呼びかけが始まり始めた。


このとき決めたことがある。

* 子どもたちの1人でもけが人が出たらこの活動はやめる
* 行政・教育機関の中傷はしない
* 全て、行動と会話で説得する
* デモはしない
* 協力を得る活動する
* 「全て子どもたちのため」
* いつか分かるときがくる。
* 「しなければいけないこと」を今する。明日ではダメ!!
* 若いときは手足を動かし、
年を取ったら知恵を使い、最後の最後にお金を使う
* 誹謗中傷はしない

皆さんに、この活動の参加を通し、
やり方や呼びかけ方、私の思いが伝わればと思います。


社会はみんなが作るもの。
子育ては家庭と地域が作るもの。
幸せは一人一人が得ることができるもの。
みんな平等で、幸せに過ごせる権利がある。
同じことをしなくてもエエ。
同じものを買わなくてもエエ。
同じ考えでなくてもエエ。
しかし、世界中、戦や争いがなく、
自然が保たれていればみんな幸せに過ごせると思います。